2011年7月1日金曜日

【熱血交遊録~内側から見たJリーグと日本代表】(08) 週刊誌に「キャバクラ騒動」を書かれたのにはまいった

4日に鹿島で行われた東日本大震災復興支援イベントで「顔も見たくない人」に会いました。ジーコにだけは会いたくなかったのです!

前任者トルシエに続いてジーコ監督も代表に呼んでくれました。後半途中から出場したマレーシア代表戦(鹿島、04年2月7日)の翌々日のことです。代表合宿で缶詰め状態の選手、スタッフのリフレッシュを兼ねて鹿嶋市内の焼き肉屋で食事会がありました。飲み足りなかった選手8人で寿司屋に向かいました。顔ぶれは久保竜彦、小笠原満男、奥大介、大久保嘉人、山田暢久、茂庭照幸、山田卓也。あいにく休業日だったので近くの別の店に入りました。《無断外出してキャバクラ店に入り、女の子の胸をわしづかみ、デブなどと暴言を吐いたり、出前で取った寿司を他の客に投げつけたり、パンツを脱いだ選手もいた》 某週刊誌にこんな形で報じられました。

●飲み直そうと入っただけなのに
何でも禁止、禁止のトルシエと違って、ジーコは「試合、練習以外は束縛せず」でした。外出禁止令も皆無でした。この時も規則を破ったのではなく、ただ単に飲み直そうと思って入ったのがキャバクラだったのです。皆の格好もジャージー姿だったし、寿司にしても寿司屋の大将が「来てくれたのに申し訳ない」とわざわざ届けてくれたもの。ちゃんとおいしくいただきました。確かに賑やかに飲み食いしましたが、週刊誌報道のような立ち居振る舞いはしていません。

ただし――。3日後の12日にイラク戦が、18日にはドイツW杯予選のオマーン戦が控えていました。時期が時期だけに非難されても当然だったと思います。何よりも日本代表を応援してくれるサポーターに「心配をかけました」を改めて頭を下げたいと思います。

この一件は、3月1日に発売された週刊誌に報じられ、8選手は「当分は代表に召集しない」ことになりました。でも、イラク戦には5選手が出場。続くオマーン戦には3選手が出場して、ロスタイムには(久保)タツさんが劇的ゴール。1-0で勝利しました。主軸として期待を寄せていた選手を外さざるを得なかったジーコ監督の胸中は、いかばかりだったのでしょうか。

フィールドの何選手かは04年のうちに代表に復帰し、ボクは06年2月の米国遠征(米国戦)、キリンカップ(フィンランド戦、静岡)、ドイツ遠征(ボスニア・ヘルツェゴビナ戦)でベンチ入りしました。しかし、出場機会は訪れず、同年6月のドイツW杯メンバーにも入れませんでした。ジーコに対して「すいませんでした」「もっと呼んで欲しかった」。いろいろな感情が交錯して「会いたくない」と思ったのでした。 (つづく)


▽都築龍太(つづき・りょうた) 1978年4月18日、奈良県生駒郡平群町出身。平群中から長崎・国見高。96年高校選手権8強。全日本ユース3位。97年にG大阪入り。00年シドニー五輪メンバー。03年に浦和に移籍。抜群の安定感とアグレッシブな存在感を併せ持ったGKとして05年、06年のJリーグ優勝、07年のACL優勝、同年世界クラブ選手権3位の原動力となった。01年コンフェデ杯ブラジル戦で日本代表デビュー。Jリーグ通算250試合出場。


~日刊ゲンダイ 2011年6月23日付掲載~